2008-02-23

『その時歴史が動いた』豊臣家存続の秘策〜加藤清正 二条城会見〜 感想

 前回、福島正則の回を見逃してしまったので、この回は絶対見ようと思ってました!
 熊本城の秘密も知りたかったし♪

 秀吉の子飼武将シリーズ、今回は虎退治で有名な猛将加藤清正でございます。

 秀吉は、ご存知のとうり武士階級出身ではないので、生まれ持っての家臣というものが存在しません。そこで、自分の親戚関係から将来有望な子供を引き取って、武将として育てていました。その内の一人が加藤清正。

 幼い時に父を失った清正は、秀吉を父のように慕っていたといいます。彼の忠節を見る限り、まあ事実でしょうね。
 幼い時に目の前に現れた、やさしくて頼もしいねずみ顔のおじさん(大泉洋?)と虎之助(清正の幼名)の交流なんか見たかったけど、資料ないだろうし、ここから一気に清正26歳の時へと飛びます。

 賤ヶ岳七本槍として勇名を馳せ、秀吉配下で順調な活躍を見せる清正。そんな時、制圧下にある九州で、肥後の国が反乱を起こします。まずいことに誰が行っても、この反乱は収まりません。

 苛立つ秀吉、そこへ清正が自分を肥後の国へ行かせて欲しいと懇願。散々痛めつけられてきた地元民に対して、慈悲を持って接すれば必ず国は収まると進言します。
 このアメとムチ戦法、押してダメなら引いてみな戦法が功を奏し、清正は肥後の国を無事治め民衆から慕われる存在になるのでした。


 とまあ、テレビではこんな感じでしたが、私あんまりこの時代には詳しくないんで、この通りだったのかよく分かりません。でも、清正が地元の人から好かれていたのは事実のようで、きっと善政をしいていたのだなと思います。

 さて、そっからまた話は飛んで、関ヶ原の合戦。ここで清正は東軍、つまり家康派につきます。秀吉大好き、秀頼命の清正がなんで?と思うんですが、どうも清正は石田光成が大嫌いだったようで…。

 福島正則もそうですよね。秀吉の家臣で武闘派と呼ばれる人々は、大抵光成ら文官派は嫌い。
 関ヶ原の合戦は豊臣対徳川の対決ではない、豊臣家の中での対立だとテレビで言ってましたが、おそらくそうでしょう。家康はそれを利用しただけなんでしょうね。

 清正は義に厚い家康の方が秀頼を守ってくれると判断、家康の味方をし、関ヶ原の合戦に勝利します。ところが…。
 
 家康についてよく出てくるフレーズ、義に厚い。後世の小説やドラマを見慣れてる我々にとって、あのタヌキ親父のどこが!?な感じなんですが、そういう風に慕われる所が家康にはあったんでしょうね、清正の前では演技でしょうけど。

 ともあれ、せっかく目障りな石田光成一派を一掃したのに、今度は家康が秀頼に対して横暴になってきた。
 そして、もはや家康を倒すことは不可能。そこで、清正は現実的な妥協案を考えます。
 天下は家康にくれてやるが、豊臣家だけは潰させない。徳川政権下で一大名として豊臣家を存続させようと、それが大恩ある秀吉への恩返しだと清正は思ったのでした。

 
 そして『その時』が来ます。
 家康との二条城での会見。
 秀頼と清正は、下座に座り家康を待ちます。そこに現れたジャニー家康、こう言います。

 「ユー隣座っちゃいなよ」 「共に上座に座ろうぞ」

 家康の罠キターーーー!!
 秀頼と清正の目配せでの一瞬の会話。

 秀(虎じぃ…!)
 清(秀頼様、なりませんぞ…!)

 というわけで、「秀頼、うっかり家康と上座に座っちゃいました事件」は起こらずにすんだのでした。
 これで安心したのか、虎じい、肥後への帰りの船の中で病没します(家康盛った?)。元々持病があったらしいんですが、いい時期に亡くなったと思います。その後の豊臣家の運命を思うと…(泣)。

 清正は50歳でこの世を去るんですが、例え清正が生きてても、ちょっと豊臣家を存続させるのは難しい気がします。福島、加藤家はその後改易ですし、家康が清正より先に死んでも…うまく行くかどうか…。どっちみちお家は取り潰しになったんじゃないでしょうか。

 それでは最後にツッコミを。
 清正は、いざとなったら秀頼を熊本城にかくまい、家康と一戦やらかすつもりでした。その為、城に秀頼のための隠し部屋を作っていたのです。
 それを裏付けるかのように、この地方では、隠し部屋を作った人足達の歌が今に伝えられています。それは、こんな歌。


  ♪〜密かに作った〜機密部屋〜♪

 全然、密かじゃない!モロバレじゃん!

 私は、隠し部屋を作った人足達は、口封じに殺されたんじゃ…とおどろおどろしいことを考えていたので、吹いてしまいましたw
 熊本城の隠し部屋や秘密通路の話は割と有名な話らしいですね。う〜ん、もしかしてこのぐらいの覚悟があることを家康にアピールしたかったんでしょうか。

 今回は長い感想文になってしまって申し訳ありません;
 面白い回だったので、つい余計なことまで書いてしまいました^^;
 最後まで読んでくださった方、ありがとうございますm(_ _)m
2008-01-01

紅白のGackt謙信を観て

 皆様明けまして、おめでとうございます!
 本年もどうぞ、このヘンテコなブログをよろしくお願い申し上げますm(_ _)m
 今年も頑張って、出来るだけ更新したいと思います。

 それでは!今年初のブログネタはコレです。↓

 Gackt謙信、紅白で盛り上がる!

 …いや〜、絶叫しましたね、テレビの前で。あまりの恥ずかしさに、画面をまともに見れなかった 笑。
 録画しといて良かった〜v3回目でようやく直視できましたよ。

 Gackt謙信良かったですね。もう、世界観と言うか、演出と言うか、どっぷり謙信(Gackt)ワールド。
 前に大河の感想で、謙信を前に鬨の声を上げる兵士達を見て、「Gacktのコンサートみたい」と書いたことがあったんですが、それが現実のものに!
 


 「我は毘沙門天なり!」
 「我に背くものは、神にそむくものと知れ!」
 等のセリフは、謙信だからこそ通用するもの(なんてったって毘沙門天の生まれ変わりですからね)。こういう性格の謙信に、Gacktは今から思えば適役、ハマリ役でしたね。

 それに戦国武将って、テレビで見るより実際はオシャレな格好をしていたので、オシャレでイケメンなGackt謙信はまさに正解。

 それにしても、邪悪な形をしたベースを弾く武者や、興奮した足軽達とか、目つきのやたら鋭い兵士とか 笑。いいものを観させて頂きました。
 いいなぁ、越後の人は。地元にあんなカッコイイ人がいて^^
 あのカリスマ性じゃ、喜んで兵士達は戦場で命を賭けるね!

 一応動画を載せておきますね。消されるかもしれませんが;



 個人的には謙信で歌うならGacktの「REDEMPTION」の方が合ってると思います。

 「果てしなく続く戦いに、この身をすべて捧げるだけ」 

 という歌詞が、もろ謙信だなと思うので♪

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